秋山記行に記されている200年前の山里の暮らし、それは過酷な自然と闘いつつも心豊かに過ごす人々の姿です。家は壁、床のある家は例外で、大半は茅を束ねて掘っ立ての柱に結び付けたものだった様です。それに似たものを先日見かけました。
(木地師の小屋)
南会津町
貧しい生活の中、嫁を取るのもその年の作柄次第という現実を唄い継ぐ地元の民謡、「のよさ節」。
“おらうちの衆は おらうちの衆は
嫁をとること ノヨサ 忘れたか
忘れたか 忘れたか
嫁をとること ノヨサ 忘れたか
忘れはせぬが 忘れはせぬが
稲の出穂見て ノヨサ 嫁をとる
嫁をとる 嫁をとる
稲の出穂見て ノヨサ 嫁をとる・・・”
“稲の出穂みて・・・”、現実には、今もそうですが稲作のできる場所はきわめて限られていて、当時は殆どが焼畑だったそうです。