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印旛沼ポタリング日記

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2009年 12月 17日

播歩駄藩江戸攻め参陣記(後編)

銀座から汐留を経て、浪士一行が目指したのは新橋駅に程近い日比谷通りの新橋四丁目です。ここは、「浅野内匠頭終焉の地」として知られた場所。内匠頭の切腹を見下ろしていたという銀杏の木も今はなく、嘗ての面影を偲ぶ田村銀杏稲荷大明神の小さな社のみがその面影を記します。「風さそう 花よりもなほ我は又 春の名残をいかにとやせん」(自害の場所は、向かいの茶色のビルの下辺りです。)
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今は環状2号線の予定地となっている場所には、名物となった「切腹最中」で知られる「新正堂」和菓子店があります。
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チョッピリ悲しい気持ちになった現代の浪士は、それでも自転車のペダルを漕ぎ続けて芝大明神に至ります。ここは江戸の火消し、め組の信心の深かった場所。内匠頭は火消しに大変熱心で、大名火消しとして赤穂藩は名を馳せていたとか。浪士の討ち入り装束も火消しの衣装であったとは、知られた事実です。今度はいささか誇らしい気持ちで、たまたま遭遇した結婚式を遠巻きに見守りました。
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田町の薩摩屋敷跡は勝海舟と西郷隆盛の会見で、江戸の無血開城が決まった場所。そこを横目に見ながら、いよいよラストランで高輪泉岳寺に至ります。個人的には、高校時代以来の再訪で紅顔の(美?)少年であった筈の時代に思いを馳せます。
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寺坂吉衛門の墓(実は顕彰費)もありました。寺坂吉衛門については、「最後の忠臣蔵」で近々映画化されるそうです。
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あの頃よりは少し整備された感じの浪士の墓に詣でた後、境内で関連書籍を展示即売していた浪士会の先生とチョッとだけ会話させて頂きました。とても、勉強になりました
一応、これで凱旋の旅は終わったわけですが、番外編として浪士がお預けとなった4家、そして奥方遥泉院の居られた旧三次浅野藩江戸屋敷、現在の氷川神社などを訪れて後、めでたく新橋駅頭で今回の旅を終了しました。
(大石主税らが切腹した松平隠岐守定直屋敷跡は今はイタリア大使館)
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(同じく浪士10人が切腹した毛利家屋敷跡は、今は六本木ヒルズ)
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という訳で、とても、勉強になり又心が豊かになる冬の江戸散歩でした。ご案内頂いた上総守殿、ご同行頂いた六六守殿、御殿医殿、有難うございました。

by imba_potter | 2009-12-17 01:06 | 自転車(ポタリング)


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