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印旛沼ポタリング日記

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2012年 01月 05日

佐倉歴史散歩その2

臼杵大仏は冗談でしたが、その後も佐倉歴史散歩は続きます。
そして、日米修好通商条約を結んだ堀田公ですが、将軍家定世継問題で一橋派に組した事から盟友井伊直弼と仲違いしてしまいます。その結果、老中を罷免、佐倉に蟄居を命じられてしまいます。そしてその僅か2年後、55歳の若さで逝去してしまいます。偶然ですが、井伊直弼によって永蟄居を命ぜられた水戸の徳川斉昭が蟄居まもなく逝去してしまう事と被ります。ミステリー好きの方々には何かを想像させるものがありそうですね。
近くの甚大寺には堀田一門のお墓が並んでいますが、正睦公を含めて何基かの墓所は先の震災で大きな被害を受けており、市役所の方々が修復の打合せをしているところでした。
(写真は省略します)




歴史散歩の次は、佐倉惣五郎。江戸初期の義民です。時の佐倉領主堀田正信の圧制に苦しむ領民の為に立ち上がり、4代家綱に直訴をした罪で、幼い子供達ともども磔の刑に処せられました。その美談は後の世に芝居や歌舞伎の題材とされて、多くの人々の涙をさそいました。
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今回初めて宗吾の自宅を訪問してみました。同じ敷地に住む子孫の方々に大切に保存されている様でした。(江戸初期から、4百年!)
佐倉歴史散歩その2_a0113874_2304334.jpg

ホントはまだ続くのですが、デジカメの電池がなくなったので歴史散歩の記事はひとまず終了します。
(最後にひとつ)
佐倉といえばこちら、と(一部の愛好家の間でのみ)賞賛されている看板があります。
佐倉歴史散歩その2_a0113874_233022.jpg

歯医者さんの看板としては秀逸ですね。色々と奥の深い佐倉と印旛沼周辺でした。

by imba_potter | 2012-01-05 22:46 | 自転車(ポタリング)


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